柏餅

5月5日は端午の節句ですが、こどもの日と言われる方がなじみ深くなっていますよね。そんな端午の節句ですが欠かせない行事食が柏餅です。葉っぱに包まれた真白なお餅を小さな口いっぱいに広げて頬張るこどもたちの姿が目に浮かびます。

この柏餅ですが、どうして端午の節句に食べるようになったのか、その由来と意味を知っていますか?

当たり前のように端午の節句になると柏餅を食べていますが、由来や意味をご存じない方が多いかと思われます。

そこで今回は端午の節句に柏餅を食べる意味とその由来を紹介します。

柏餅が端午の節句で食べるようになった由来

端午の節句の風習は中国より伝わったものですが、柏餅は上新粉を材料としたお餅で餡をくるみ、塩漬けした柏の葉で包んだ日本独自のお菓子です。

中国で端午の節句が食べられるようになった由来は屈原という政治家にあります。

正義感が強く民衆からの人望も厚かった屈原ですが、ライバルの策略によって地位を追われ失意のうちに川に身を投げてしまいました。それを知った民衆は嘆き悲しみ、屈原の遺体が川の魚に食い散らかせてしまわないよう、太鼓を叩いてちまきを川に投げ込みました。そこから屈原が亡くなった5月5日にちまきを食べて厄除けをする風習となり、日本にも伝わりました。

柏餅を食べる習慣は江戸時代の1700年代半ばから始まりました。

跡継ぎの健やかな成長を願って端午の節句に縁起物として柏餅を食べるようになりました。

柏餅がなぜ縁起物なのか?

柏の木

柏餅がなぜ縁起物かと言いますと、柏はブナ科の落葉樹ですが、冬になっても葉が落ちることなく春に新芽が出るまで古い葉を残すので、神様が宿る神聖な木として崇められました。

時代が経つに連れて「跡継ぎが絶えない」「子孫繁栄」の縁起物として扱われ、塩漬けにして餅に包まれるようになりました。

柏餅は主に関西で食べられており、後に江戸に伝わり縁起物として発展して「柏餅」となりました。

その名残で関西では「ちまき」、関東では「柏餅」とされましたが、現在では地域差もなく、ちまきと柏餅が区別されることはなくなっています。

端午の節句に柏餅を食べる本当の意味

江戸時代の武家では跡継ぎがいなければ「お家断絶」となりますので、跡継ぎの男子がとてもたいせつにされていました。

新芽が出るまで古い葉が落ちない柏の木には「子供が生まれて成長するまで親は死なず生き続ける親の姿」に見えることから、「子孫繁栄」の縁起が担がれるようになりました。

柏餅にはまさにこどもの成長を願う親の気持ちが込められているのです。

端午の節句

あらためて端午の節句に柏餅を食べる意味や由来がよくわかりました。こどもの成長を願うことはとても素敵なことですし、これから端午の節句にはこどもの成長をしっかりとかみしめて柏餅を食べれば、喜びもひとしおとなりますね。